Column

マキタのきほん vol.6 ~ できることから すこしづつ ~

タイトルにあるように考えられるようになったのは、実はごく最近だと思います。自身の性分上どうしても自分が取り掛かってしまった事柄や物に対しても「できる限り上を目指し、尚且つ視野を広め詳細を極める」というのが自分を俯瞰するという意味とも重なりますが、自身をそうであると思っています。良い意味ではそうですが、悪い意味で言うと突き詰めた先から進めなくなった際に、「よく頑張った自分」を受け入れ、認める代わりに「もっと出来たのでは?これしかできないの?」と不甲斐なさの方が勝ってしまうこと。「できることから、すこしづつ」はベースをマクロビオティックで生きよう、と思ったときに自身が目指したマクロビオティックの講座のサブタイトルがこの言葉でした。

 

皆食べた物からその人自身が出来ていることに意識は向かないかもしれませんが、あえて禁止ではないにしても今まで良しとしてきた食べ物を自らの意思で止めてみたり変えたりすることで起こる変化があります。それは自身の思いとは別の次元で、ココロと体が別々になったかのような、思いと行動や発言が食い違う場面がやってきます。そんな事柄に対してその言葉は救いのような言葉でした。「できることから、すこしづつ」。やってみたことが大袈裟であったり、たとえ出来なくても自分を責めない。少しづつでいい。これは食に限らなくても全ての事柄に対しての「~ねばならない」から解放されるような、寄り添うような言葉でした。続きは次号に。